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70年代ロックの歴史に残るライヴ映像ザ・バンドのラストワルツ [僕のギター歴]


ラスト・ワルツ 特別編 [DVD]









大学3回生の頃電気屋でバイトをしていた僕は、社員で働いていた大学の先輩と親しくなりました。クイーンやチープトリックを聴いていることを話すと「なんや、まだまだ子供やなぁ。今度うちへ遊びにきたら、大人のロックを聴かせたる。」と言われ、それからは週末の夜、愛車のスターレットで先輩のアパートに通うことになります。

先輩のアパートにはレコードがぎっしりと並んでいました。70年代のロックが中心で、おそらく600枚くらいはあったんじゃないかと思います。そんな中で最初に聴かせてもらったのはフェイセズの「馬の耳に念仏」でした。そして次に目にしたのが、ザ・バンドの解散コンサートを映画化した「ラスト・ワルツ」。

ザ・バンドの演奏もさることながら、エリック・クラプトンやドクター・ジョンそしてマディー・ウォーターズ、と初めて聴く音楽とアーティストの旬を見事にとらえた映像をみて、衝撃を受けます。こんなかっこいい音楽があったのか!と。

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ギブソンES-335 [僕のギター歴]


Gibson Memphis Historic Series 50th Anniversary 1963 ES-335TD Block VOS 60s Cherry





僕がES-335を手に入れたのは25才の頃。当時弾いていたフェンダージャパンのストラトに不満を持ち始め、一緒にバンドをやっていた友人に相談したら「335なんていいんじゃない?」とすすめられて購入しました。フェンダーのアンプ「ツイン・リバーブ」と相性が良くて、なんともいえない甘い音がします。93年モデルですが、店の人から「ピックアップはPAF(パフ)ですよ」と言われました。

ES-335は1958年にギブソン社から発売され、以後チャックベリー、ラリーカールトン、BBキングといったアーティストのトレードマークとして活躍します。僕がレッスンを受けている先生も68年モデルをメインに使っています。ちなみにESはエレクトリック・スパニッシュの略だそうです。ボディが大きくて両サイドに空洞があるため、ジャズギターのように太くてまろやかな音になるんですね。

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アルトサックスへの転向 [僕のギター歴]

ギターを休止した後、新たにアルトサックスをはじめることにしました。メイシオ・パーカーの「mo' roots」を聴いて以来、いつか吹いてみたいと思ってたサックス。独学では難しそうなので、先生に習うことにしました。

レッスンでは楽譜の読み方や音楽理論も教えてくれます。20年以上ギターを弾いていたわりに、自分がいかに「音楽」を知らないかを思い知らされます・・・そしてプロの厳しい目。特にリズム。音符を目盛りのように読むことを教わりました。次にアーティキレーション。楽譜を棒吹きするのではなく、歌うように聞かせるポイントも練習しました。「プロに基本から教わる」ということの大切さに気づきました。

ジャズを吹くのを目標にしていましたが、家で吹くことができないため練習量も少なく、なかなか上達しません・・・結局、発表会などで演奏したりしながら3年半続けましたが、モチュベーションが続かなくなり、サックス自体にストレスを感じるようになります。

「ギターもうまく弾けなかったし、サックスも・・・やっぱり自分には才能ないのか・・・」と思ったり「いや、サックスも練習しないから上達しないんだ。けどモチュベーションが下がってるし・・・」と悩んだあげく、「サックスを本当に嫌いになる前に休止しよう。でも楽器は演奏したい。それならギターをもう一度基礎から先生に習ってみよう。」と思い立ち、ほこりをかぶっていたES-335を調整に出し、ギター教室に申し込むことにしました。今考えると、中学卒業と同時に先生についていればよかったのに・・・実に20年以上たって「ギターを習う」という発想に切り替えることができたのです。

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社会人のバンド-その3 [僕のギター歴]

30歳を過ぎた頃、大学時代に一緒にバンドをやっていた先輩から「今度友達の結婚式の2次会でバンド出演するけど、よかったら一緒にどう?」と声をかけてもらえました。オーティス・レディングやボビー・ウォーマックを好むヴォーカル、愛器がフェンダーUSAやギブソンと本物志向のギタリスト、ES-335の僕、ベースの先輩、チャーリーワッツのようなドラムスの5人編成で2曲演奏することになりました。

曲はオーティスの「おまえをはなさない」とストーンズが初期にカバーした「エヴリバディ・ニーズ・サンバディ」。今まで組んだなかで一番R&B色が濃く、メンバーの演奏技術も高いバンドで、僕のギターの腕はあいかわらずだったのですが、ヴォーカルの人が「ギターええ音してるやん」としきりにES-335の音色を褒めてくれました。

その後、結婚式の2次会や音楽サークルの同窓会など、6年間で計4回ステージの上で演奏することができました。けれど、メンバーの演奏技術に比べて見劣りする自分のギターにいや気がさし、37歳の冬にギターを休止することにしました。その時は、今後人前でギター弾くことはないだろうと思っていました。

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社会人のバンド-その2 [僕のギター歴]

26才の時、ライブを企画してくれた先輩が「お前がまたギター弾けるようにバンド紹介するから」といって、今度はスイート・ソウル系の演奏をするバンドを紹介してくれました。ボーカルはジャズのライブハウスで働きながらステージで歌うお姉さん。ギターはジャズやソウルを幅広くこなし、音楽理論にも精通した頼りになる兄貴。そしてジャズバンドでも叩く本格派のドラーマー。いつもやさしいベースのお兄さん。シェフのかたわら音楽活動をする、ちょっとこだわりの強いピアニスト。そして「こんな人たちと本当に一緒にやっていいの?」と戸惑う僕。「フィール・ライク・メイキン・ラブ」といった今まで演奏したこともない曲。複雑なコードがいっぱい出てきて、ポジションを押さえることもままなりません。

第一回目のライブはクロコダイルというライブハウスを昼間に貸しきって、いくつかのバンドと出ました。しかし、緊張のあまりコードが頭から全て飛んでしまい、しかたなしにギターのボリュームをゼロに絞ってひたすら弾くマネをしてステージを終えました。

次のライブではスイート・ホーム・シカゴとサム・アンド・デイブのホールドオンの2曲だけステージに上がって演奏する、という変則的な参加でしたが、この時からブルースを演奏することに興味を持ち出しました。その後、ギターの兄貴から「新しくブルース・ブラザーズコピーバンドを結成するからエルウッド役で参加しないか?」と誘われましたがギターを弾けないのでお断りしました。そしてまたひとりの生活に戻ります。

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社会人のバンド-その1 [僕のギター歴]

社会人になった僕は、しだいに自分のバンドを作りたいと思うようになりました。同じ会社に勤めていてクイーンのコピーバンドをやっていた先輩から「お前はロックをやるべきだ!今度ホールを借りていくつかのバンドが出演するライブを企画するから、それまでにバンドを結成しなさい!」と指令があり、メンバーを探すことになりました。

ベースは会社の後輩。ルパン三世のような体型でストーンズやJガイルズ・バンドを好んで聴いていました。そしてバンド運営に自信がない僕は、先生役として小学校時代の友人をギターで迎えます。彼はフェンダーのシンラインでキースリチャーズのように切れのあるバッキングをし、ジミヘンのようにエモーショナルなソロを弾きます。バンドも数多くこなしてきたため、リズムやアレンジについてもシビアに指導してもらうことができました。ドラムスは中学時代の友人。チャーが好きで、高校時代にバンドをやっていたこともあり、リズムはしっかりしていました。

問題はヴォーカル。最初僕がマイクに向かったのですが、カラオケと違いロックバンドで歌うほどの声量と音感がないことに気がつき断念。そこで「プレイヤー」というギター雑誌に募集記事を載せることにしました。掲載されると、毎晩のように電話がかかっていきます。「ビートの効いたロックやりたいんだぜ、ベイビー」と九州から上京してきたという人から「ソウル中心で黒っぽいのやりたいんだけど」という若いお兄ちゃんまで色々でした。けれど、みんな半分プロを目指しているような人ばかりで、僕らの素人バンドで歌ってくれる人はなかなか見つかりません・・・

そんな中、やっとセッション感覚で参加してもらえる人が見つかり、なんとかライブの日までにメンバーをそろえることができました。約2ヶ月で6曲を仕上げるために毎週スタジオに入って練習しました。選んだ曲はローリング・ストーンズの「マーシー・マーシー」、「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」、「ブラウン・シュガー」、スペンダー・デイビス・グループの「ギミ・サム・ラヴィン」、トム・ウエイツの「ダウンタウン・トレイン」、エリック・クラプトンの曲(タイトル忘れてしまいました)。

僕はフェンダージャパンのストラトを弾いていたのですが、先生役の友人のギターはフェンダーUSA。音の鳴りが全然違い、いくらボリュームを上げても彼の音の方が通ってしまいます。そこで思い切ってギターを新しく買うことにしました。仕事が終わると毎晩のように楽器屋へ出かけてギターの試奏を重ね、表参道のヤマハ楽器店でギブソンのES-335を手に入れました。

3本目のギターを手にしてモチュベーションも上がり、練習の成果もあってライブはほぼ期待通りの成果をだすことができました。ライブ終了後の打ち上げではバンドの解散を宣言し(先生役の友人が今回のライブに限りの約束だったので)、またひとりの生活に戻ります。

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大学時代のバンドについて [僕のギター歴]

大学に入学した僕は近所の喫茶店でアルバイトを始め、そこで働いていた先輩に誘われてバンドに加入することになりました。今まで使っていたトーカイのストラトを売って、新たにフェンダージャパンの白のストラトに買いかえました。バンドはヴォーカル、ギター(僕)、ベース、ドラムス、キーボードという構成でメンバーが入れ替わりながら約2年間活動しました。

オリジナルのポップスを中心としたバンドで、ライブハウスで演奏したり、スタジオ録音したり、コンテストに出場したり、となかなかバンドらしい活動をしていました。ただ、実際は僕のギターはたいして上手くなかったし、アレンジやリズムも甘く、コンテストでは一回戦で落選、ライブをやっても対バンの方が受けが良く、メンバー間の人間関係もいまひとつで最後は空中分解してしまいました。

当時の僕はチープ・トリックやクイーン、ヴァン・ヘイレン、レッドツェッペリンが好きで、バンドのメンバーからローリング・ストーンズやボブ・ディランを聴かされるのですが、あまり興味をしめしませんでした。ブルースなんて黒っぽい音楽は嫌いで、ハードロックのリフばかり練習していました。そんな僕がブルースロックに目覚めるのは、バンドが解散した後にアルバイトを始めた電気屋の先輩から「70年代ロックへの手引き」を受けてからになります。

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ギターを始めた頃 [僕のギター歴]

僕がギターを始めたのは26年前、中学3年の春休みでした。ちょうど高校の合格発表があった翌日にギターを買いにいったのを覚えています。初めてのギターは当時5万円くらいのトーカイのストラトキャスター。メイド・イン・ジャパンですね。

その頃はクイーンの大ファンで、好きなギタリストはブライアン・メイ!けれど初心者がコピーするにはハードルが高すぎます。そこで友人が持ってきたのがルースターズという日本のロックバンドの楽譜とテープでした。その中にベンチャーズの曲で「ワイプ・アウト」と「テルスター」のカバーが入っていて、まずはその2曲を練習しました。まだアンプを持っていなかったので、家にあったラジオにシールドを差してアンプがわりに音を出していました。

春休みだったので1日8時間くらいは弾いていたと思います。寝るか、ご飯食べるか、ギター弾いてるか、みたいな毎日でした。曲が弾けるようになると、友達の家に集まってバンドごっこを始めます。リードギターの僕とヴォーカル兼ギターとベースのトリオ。ザ・モッズや子供バンドのコピーをやっていました。

ドラムはいなかったので、リズムマシンを持ってる同級生にリズムパートだけのテープを作ってもらって、それをラジカセでかけながら演奏していました。今考えると、これが初めて組んだ「バンド」になるわけです。ちなみにその頃ヒットしていたのはローリング・ストーンズの「ウエイティング・オン・ア・フレンド」でした。

その後、ラウドネスや44マグナムといったバンドの登場によりヘヴィメタブームがやってきて、「早弾き」など技術的についていけなくなり、バンドは自然消滅・・・僕自身は大学受験をひかえるようになってギターを弾く時間がめっきり減ってしまいました。

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